アクティブイノベーションウエスト代表弁護士の木下です。

  小沢一郎議員の政治資金規正法違反の刑事裁判が始まりました。
  この裁判の社会的注目の大きさは、多数の希望者が初日の裁判傍聴を求めて裁判所に行列を作り、報道陣も大挙して押し寄せたことだけでなく、裁判後の記者会見が開かれたことからもよく分かります。記者会見の有無は社会的注目の大きさの明確なバロメーターですが、裁判が進行している真っ最中に会見を開くことは賛否両論があるように思います。
  たしかに、裁判になっているのであれば法廷以外での発言は極力控えるべきだとの意見もありますが、憲法上の表現の自由もあり(憲法第21条)、個人が発言することは自由ですから、私は、記者会見を開いて発言することが悪いとは思いません。もし、報道のニーズがないと判断されれば、いかに記者会見を開いても取り上げられないだけですから、そもそも記者会見そのものが悪いわけではないと思うのです。

  むしろ、今回の記者会見に付随して私が気になったのは、記者会見における質問者や質問数が相当に制限されていたことです。
  たしかに一切制限がないのであれば、際限なく質問が繰り返される可能性があるので、会見者サイドで質問数を制限したい気持ちは分かります。しかし、記者会見の趣旨を考えると、質問数を制限することが合理的な手法だとはやはり思えません。その限られた質問の内容が、会見者にとって是非とも話したいこととは限らないですし、国民にとっても是非とも聞きたいものとは限らないからです。勿論、質問をする報道陣は国民を代表して皆が知りたいと思うことを厳選して質問しているという自負はあるでしょうが、質問数が制限されるとなると、限られた質問の中でありきたりな質問をして埋没してしまうよりは、少し違った視点で個性を出そうとして、やや奇をてらった質問に走ってしまう可能性も否定できません。その結果、結局、国民が知りたい基本的な情報そっちのけの記者会見になってしまうリスクもあるように思います。
  今回の小沢議員のように、まず一方的に自分が伝えたい意見だけを読み上げて、質問には限られた数だけしか答えないという手法もあるでしょうが、正直これだと質問をする報道陣にも、それを聞いている国民にも、かなりの消化不良感は残ると思います。
  そうかと言って、記者会見の段取りや進行について、完全に報道陣サイドに委ねれば、必ず充実した記者会見になるというものでもなさそうです。私は以前、ある裁判の後で囲み取材を受けたときに、質問する報道陣サイドが代表質問の形式にするのか、各自質問の形式にするのかでなかなか決まらず、一向に記者会見が始まらなくて呆気にとられたことがあります。質問をする報道陣サイドにも、それはそれでいろいろな綱引きがあるようで、記者会見について、報道陣サイドの主導にすることも難しいのだろうなと感じました。

  結局、問題は何のための記者会見なのかということに尽きるのだと思います。記者会見が会見者の利益のために開かれる一面があることを否定するつもりはありません。しかし、記者会見が単に会見者のためだけのものであれば、報道陣がこれを大々的にメディアで国民に伝える必要はないはずです。記者会見が真に国民の知る権利や、今回であればその先の政治の健全性のためにあるものであれば、例えばオンラインの世論調査などで多数の国民が質問を望んでいることは必ず代表質問事項に入れて、少なくとも会見者の主導で質問数を大幅に制限させないような運用は必要だと思います。記者会見を開くことによって、会見者が気持ちいいだけではなく、国民全般にとっても有益なものとなるような運用が定着されていって欲しいものですね。