東京事務所の木下です。

  先週、共に切り餅で有名な佐藤食品工業と越後製菓が切り餅をきれいに焼くための「切り込み」に関する特許侵害を争った裁判で、業界2位の越後製菓の主張が認められて、業界1位の佐藤食品が敗訴しました。知財高裁は佐藤食品に対して、越後製菓の特許を侵害していることを理由に、約8億円の損害賠償だけでなく、商品の製造差止め、在庫商品の廃棄処分、製造装置の取り壊しを命じました。

  この判決をご覧になって、損害賠償に加えて在庫商品の廃棄や製造装置の取り壊しまで命じられた佐藤食品は、さすがに気の毒だと感じた方も多いと思います。実際に私も何人かの知人から、この判決の妥当性について質問を受けました。たしかに、佐藤食品には大変厳しい判決だったことは間違いないのですが、ここで多くの方が誤解されていると感じたのは、佐藤食品は事前に中間判決を受けていて、いきなりこの終局判決を下されたわけではないということです。
  実は、あまり聞き慣れない専門用語でしょうが、民事裁判の判決の中には、通常の終局判決以外に、中間判決があります(民事訴訟法第245条)。これは終局判決の準備として、事前に争点の判断をしておくことで、効率的な審理をするための判決です。例えば、ある出合い頭の交通事故で責任と損害が共に激しく争われている事件があるとします。信号無視を理由に訴えられた被告が、自分の対面信号は青色だったと責任を真っ向から争いながらも(刑事裁判で無罪を争うようなものです)、原告が主張する損害についても過大であると強く争う場合が考えられます(刑事裁判で求刑が重過ぎるとして、量刑も争うようなものです)。この裁判で、もし被告の責任が認められないのであれば、損害に関する詳細な主張立証及び反論反証は全て不要になります。そこで、先に責任の有無だけを判断するのが中間判決です。中間判決で責任が認められた場合に限って、次の損害の攻防に入れば無駄な審理に時間を費やす必要はなくなるわけです。
  そして、この切り餅特許裁判についても、今回の終局判決以前に中間判決が出されていて、佐藤食品が越後製菓の特許を侵害することは既に判示されていました。そこで、特許侵害を前提として、越後製菓の損害はいくらで、これを回復するためには、佐藤食品に対してどのような措置を課すべきかに争点は移っていました。そのため和解による解決も試みられたようですが、残念ながら和解には至らず、今回の終局判決になったようです。佐藤食品からすれば、中間判決によって一定の損害賠償が命じられることは分かっていたわけで、それでも和解を拒否したのですから、覚悟の敗訴判決だったということです。

  私は、今回の終局判決を見て、改めて和解の効用について考えさせられました。
  たしかに、係争中の当事者にとって、和解という言葉を聞くだけで不快感を露にされる方はいます。特に裁判上の和解の場合、お互いに譲れないものがあったからこそ裁判に至っていることが多いですから、そのような経緯を無視して、いきなり和解できませんかと尋ねてくる裁判官には不信感を示す依頼者もいます。しかしながら、ある程度審理を重ねて、双方の立場を汲み取りながら、できる限り双方のダメージを最小限に止める和解には、やはり絶大な価値があると思います。
  詳しい事情は分からないので、弁護士としての感覚だけになりますが、私は、やはりこの切り餅特許裁判は、和解が望ましい事案だったようには思います。中間判決で特許侵害が認定された以上、終局判決まで行けば、損害賠償に止まらず、在庫商品の廃棄や製造装置の取り壊しを命じられることは予測できましたから、裁判所としても、もう少し円満な解決を図るために和解を勧めたのだと思います。
  この点、既に佐藤食品は、特許侵害に当たらないように改良した商品を販売しているので、敗訴判決による実害は大きくないとも聞きます。しなしながら、やはり同じ商品を販売する業界内で余りにも紛争が長引くことは、業界そのもののイメージ悪化によって、双方の販売減少につながる可能性もありますし、愛情を持って製造した商品を廃棄しなければならない現場の人達の無念さやモチベーションの低下なども考えると、もう少し大人の解決もあったのではないかとは思いました。ほぼ完全勝訴したにも関わらず、越後製菓が「和解で解決できずに残念だ」とコメントしていたのは本音ではないでしょうか。

  このように、和解で解決することは、必ずしも足して2で割るような安直なものばかりではなく、当事者にとって、①時間的にも、②コスト的にも、③労力的にも、④その他副次的な効果的にも大きなメリットがあることが少なくありません。今回の切り餅特許裁判では、①②③に加えて、④として上記のような業界のイメージ悪化や従業員のモチベーション低下の防止などのメリットも考えられたわけですが、佐藤食品としてはそれでも譲れない信念があっての経営判断になったのでしょうから、それはそれで仕方がないと思います。全ての紛争が和解で解決できるわけではないですから。
  ただ、一般論として申し上げるなら、安易に依頼者と同化してしまわないで、きちんと依頼者に和解のメリットとデメリットを説明して、時には感情的になって合理的な判断ができなくなっている依頼者に対して、和解のメリットを享受できる機会をきちんと与えてあげられる弁護士…こういう弁護士は良い弁護士だと昔から言われていますが、逆に最近は和解の道筋を満足に示せない弁護士が増えて来たような印象を受けます。依頼者に対して和解の可能性やそのための十分な説明をしない弁護士は、一見依頼者のために戦う弁護士だとか、依頼者にとって頼もしい弁護士にも思えますが、解決の潮目の判断については、実は依頼者が本人訴訟をしているのと大差がなく、適切な解決のタイミングを失い、いたずらに時間とコストと労力を無駄にしていることが少なくないです。
  私は、和解の説明を丁寧にする方で、現実に和解によって解決することも少なくないですが、これからも事案によっては、依頼者の方の希望を最大限に尊重しながらも、専門家として和解のメリットはしっかりと伝えてあげられる弁護士でありたいと思っています。