東京事務所の木下です。
私が弁護士をしていることが分かると、「ストレスが多くて大変でしょう?」と声を掛けて下さる方がよくいらっしゃいます。これらの方々の大部分は、弁護士は紛争の中に身を置くのが仕事だから、常に相手方からの攻撃にさらされ、その都度反論もしなくてはならず、なかなか心身共に休まるときがないようなイメージを持たれているようです。
たしかに、仕事の中にはそのようなタフな交渉案件もありますし、間違ったイメージではないでしょう。しかし、おそらく多くの弁護士に尋ねてみれば、それは職業に内在する不可避なストレスとして、ある程度割り切っていると答えるのではないかと思います。私自身も、若い頃は弁護士という仕事に就いた責任感を強く意識していたからこそ、逆にストレスが少なかったという話をしたことがありますが(裁判所から届く特別送達とは恐ろしいものなのか?)、この種のストレスには意外に慣れるものですし、そうでなければ、弁護士という職業の看板は掲げられないのだろうと思います。
それでは、我々弁護士にとって、最大のストレスは何かと言うと、おそらく相手方ではなく、「自分の依頼者とトラブルになること」ということで、かなりの方が一致するのではないかと思います。法的に困っている方の助けになればと考えて、厳しい相手方との交渉に臨んだのに、肝心の依頼者の怒りを増大させたり、依頼者を悲しませたりして、依頼者とトラブルになることほど辛いことはないです。
幸い私はこれまでに、やむを得ない特殊な事情から代理人を降りざるを得なくなったことはあっても、自分が最初から関わった仕事で依頼者との信頼関係が壊れて、依頼者に解任されたり、依頼者から着手金の返金を求められるようなトラブルになったことは一度もありません。
この点、弁護士は依頼者の味方であり、一つのチームみたいなものだから、当たり前のように思われる方もいるでしょうが、そうでもなくて、最近は弁護士と依頼者との間で大きなトラブルになることが増えているという話を耳にします。
このようなトラブルが増えた原因として、考えられる理由はいくつかあります。
まず一番大きな理由は、やはり依頼者との間を取り持ってくれる紹介者を経由しない案件が増えたことです。紹介者がいることは、常に紛争の渦中に身を置き、仕事の性質上、危うい立場に立たざるを得ない弁護士にとって、非常に心強いし安心です。以前は私も含めて、紹介者を経由しなければ仕事を受任しない弁護士がほとんどでしたし、今でも、そうされている弁護士はたくさんいますが、他方でそれでは経営を維持できないから、又は紹介者からの案件だけで経営は十分やって行けるけれど、敢えて広くニーズに応えるために、紹介者なしの案件も受けるという弁護士は確実に増えました。皆さんが弁護士に知り合いがいるわけではないので、市民の利便性からすれば前進しているのですが、必然的に依頼者と信頼関係を築いたり、これを維持するのに時間がかかる案件も増えたわけです。このようなバックグランドがある中で、よく事案を吟味しないまま、経営的にやむを得ないからとか、仕事を断るのはポリシーに反するからという理由で、弁護士が安易に紹介者の介在しない案件を受任すると、依頼者とトラブルになるリスクが高くなるのは当然のことではないかと思います。
次に、単純に弁護士の態度が尊大で依頼者を怒らせてしまうケースがあります。依頼者に対して、「上から目線」が過ぎるということです。これは従来から一番多い典型的なパターンで、例えば侮辱的な言葉を投げ掛けたりして、依頼者を傷付けたためにトラブルになるケースがあります。
その他にも言葉遣いは正しくても、自分は特に多忙だとか、自分は価値ある仕事をしているという不遜な態度がにじみ出てしまう弁護士が招くトラブルも、この分類に入ります。平気で度々依頼者とのアポイントをドタキャンする弁護士がいますが、これが典型例だと思います。
私は、このような温床の一つに、弁護士に対する呼称があると思っています。我々は、日常至るところで「先生」と呼ばれる機会が多いです。持ち上げられて崇め奉られれば、誰でも悪い気がするはずがありません。しかし、この環境は世間的には普通のことではないし、依頼者だけならまだしも、同業者同士までお互いに「先生」と呼び合う慣習は危険です。ある程度年長者の弁護士に対して使うならまだしも、若い頃からその世界にどっぷり浸かった人は感覚が鈍くなり、知らず知らずのうちに尊大になる可能性がありますから、注意した方が良いと思います。
実は、これは医師にも共通の悩みのようで、私の大学時代の友人の医師〇〇は、休日に自宅に来た宅配業者の応対に出たところ、普段の病院のように「〇〇先生」ではなく、いきなり「〇〇さん」と呼び止められたため、一瞬違和感を感じて不機嫌になりかけたものの、「あっ、今は『〇〇さん』でいいんだ」と我に返り、ちょっと自分は歪んできているから、気を付けなくてはいけないと思ったそうです。この話に対して、笑えそうで笑えない弁護士もいるかもしれません。
最後に、2番目の理由とは全く正反対で、依頼者に対して、逆に丁寧過ぎるというか、余りにも「下から目線」が過ぎるために、不幸にして依頼者とトラブルになるケースも増えてきているように思います。
依頼者は、弁護士に対して、当然ながらリーガルオピニオンを求めています。そして、リーガルオピニオンは、必ずしも依頼者が期待する結論通りのものになるとは限りませんから、弁護士が依頼者を説得したり、諭さなければならないことも少くありません。そのような非常にシビアな議論を伴う局面において、「下から目線」過ぎる弁護士に対して、依頼者は頼りなさや言い様のない不安を感じることはあり得るように思います。勿論、「上から目線」ではないカウンセラー的な弁護士が喜ばれる部分が大きいことは間違いないのですが、ひたすら依頼者に迎合的で依頼者の顔色を伺うような対応では、いかに丁寧でも依頼者から苛立ちを覚えられ、それがトラブルの温床になることがあります。
そして私は、ここでも呼称、但し、今度は弁護士が依頼者を呼ぶときの呼称が関係しているのではないかと感じるときがあります。最近の若い弁護士の中には、依頼者のことを、「〇〇さん」ではなく、「〇〇様」と呼ぶ弁護士が増えました。とても丁寧で、一見良いことのようですが、私には少し違和感がある呼び方です。依頼者との関係を大切にすることは結構なのですが、普段から「〇〇様」と呼び続けている相手に対して、本当に真摯なリーガルオピニオンの説得や諭しをすることが可能なのか、甚だ疑問だからです。私は、「上から」でも「下から」でもダメで、やはり依頼者との関係は「対等な」チームであるべきだと思っています。対等だからこそ、ほど良い緊張感に包まれて、お互いが信頼して意見交換ができる良い関係が生まれるものです。
そのように考えると、呼称一つ取っても実に悩ましいものですが、要は依頼者と程良い距離感を保つために、弁護士はいろいろなことに気を遣い、誠実な応対を心掛けなくてはならないということだと思います。当たり前のことですが、その当たり前のことがなかなか難しいし、もし個人ではなく組織での対応をしていくなら、全ての弁護士がこれをできなくては、組織にする意味はないように思います。個人か組織か…一長一短の議論は、常に悩ましさが付きまといます。