東京事務所の木下です。

  私事の事情でブログをお休みさせていただいておりました。この間、ご心配下さって、わざわざご連絡を下さった方がたくさんいらっしゃいました。改めて、自分の知らないところで、多くの方が弊ブログを楽しみにして下さっていることが分かり、とても励みになりました。この場を借りて心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
  以前よりも私の更新頻度は少なくなりますが、今後は全体のローテーションに入って更新していきます。よろしくお願いします。

  さて、少し前になりますが、今春、岩手県の花巻で仕事があり、被災地の生々しい現状に接する機会がありました。岩手県庁に勤務する私の大学時代の友人が、昨今「復興」の文字が踊るけれど、被災地の中心部は現在どのような状態にあるのか、是非私に見て欲しいと言ってくれて、わざわざ有給休暇を取って、壊滅的な被害を被った都市の一つ、陸前高田まで案内してくれたのです。

  まず、盛岡から陸前高田までの道のりは、車で急いでも2時間半かかりました。遠隔地に居住していると分かりにくいのですが、実は、この距離感が復興の大きな障害の一因になっています。関東や関西の都市圏で暮らしている方にはピンと来ないかもしれませんが、東北地方の各県は一つ一つがとても大きいので、例えば岩手県の場合、復興拠点となる盛岡から、被災地の陸前高田や大船渡に行くだけでも、新幹線で東京と大阪を移動できるほどの時間がかかります。県の復興にかかわるスタッフは、この道のりを一週間に何往復もする必要性に迫られるのですが、どうしても機動性が落ちて、頻度が制約されてきますから、これが復興の妨げになっていることは間違いありません。
  事前に友人からは、風景ががらっと変わる瞬間があるから…と聞いていましたが、正に山間の普通の町並みが続いていた景色が、ある一瞬から、がらりと何もない荒れ地だけが広がる風景に変貌し、唖然としました。余りにも何も残っていないので、私のように初めて訪れた人は、もともとがそういう荒れ地なのかと誤解してしまう程ですが、ねじ切られたような数々の金属物や所々に残る建物の残骸が、ここに人々の暮らしの営みがたしかに存在していたことを雄弁に物語っていました。陸前高田と言えば、大きな船舶が川を逆流していた映像が記憶に残っていましたが、至るところで倒れていた鉄柱や橋の欄干などの金属物のほとんどが、津波に押し寄せられた山側ではなく、反対の海側に折れ曲がっていたことも驚きでした。いかに引き潮の力が凄まじいもので、あっという間に海に引きずり込まれた犠牲者の数が多かったかが分かります。
  しかし、私が一番衝撃を受けたことは、やはり被災地に積み上げられた瓦礫のボリュームの多さです。友人から見せてもらった資料によると、岩手県には県内の一般廃棄物量の約10年分に相当する約435万トンの瓦礫が存在するにもかかわらず、今年の3月末日時点では、まだ11.8パーセント程度しか処理が進んでいないらしく、たしかに、その圧倒的な量には絶望的な気持ちになるほどでした。ところが、その山積みされた瓦礫の光景以上に、私の友人から聞いて大変ショックだったことは、被災地以外の特定の自治体が瓦礫の受け入れを検討しているというニュースが流れると、その自治体の住民達から、被災地の岩手県庁などに宛ててクレームの電話が入り、業務の半分近くを忙殺されるほど膨大な件数なので、町作りの策定など本来の復興業務がなかなか進まないということでした。現在、被災瓦礫の広域処理は着実に進んでいて、先日8月5日の日経新聞においても、内閣府調査に対して、約88パーセントの人が広域処理に賛成しているという記事が掲載されていたのですが、表面上の調査結果と現場レベルの実態には、まだまだ隔たりがあるということだと思います。たしかに、瓦礫の受け入れには消極的な住民の気持ちも理解できますから、その安全性の判断基準や根拠などについて、自分達が住んでいる自治体と十分に議論することは必要だと思います。しかし、そのような議論を飛び越えて、被災地の方にクレームを言うのは全く筋違いだし、止めていただきたいと思いました。少なくとも被災地の現状を見れば、とてもそんなクレームの電話をできるものではないことが分かるのでしょうが、私もそうであったように、現状を直接見てみないことには、なかなか伝わらないかもしれません。
  この後、崩壊した市役所などの惨状や、大津波から奇跡的に生き残った「奇跡の一本松」を見ました。陸前高田市役所の一階には、ぐちゃぐちゃになった車両が二台、おびただしい瓦礫に混じってフロアに無造作に転がっていました。あり得ない物体が、あり得ない形状で、あり得ない場所に存在する様子は、すぐに受け入れるにはリアリティが乏しく、まるで震災博物館の展示のオブジェみたいでしたが、まぎれもない震災の爪跡は悲惨過ぎて、カメラは持っていたのですが、シャッターを押す気持ちにはなれなかったです。

  現在、陸前高田や大船渡の沿岸地域では、町作りのデザインについて議論が続けられています。高台に住居を移すプランが有力ですが、漁業関係の方を中心に、住み慣れた海岸付近にこだわる方もいます。生活地域の高台と職業地域の海岸を分離するプランも有力らしいですが、全体のコンセンサスを得るには至っていないようです。そして、ここでも瓦礫の処理が大きく影響してきます。どのような町作りをするとしても、結局は瓦礫撤去が進まなければデザインすらできないからです。瓦礫処理と町作りを同時に進めるために、瓦礫を積み上げて土台にして、海岸に人工的な高台を造って居住するという大胆なプランも真剣に議論されていることを聞きましたが、行政側としてはどのプランがベストなのか、そして、どのプランでも生じるであろう反対派に対して、どこまで強く指導すべきか、悩みは尽きないようです。
  これらの町作りの策定を伴う復興のためには、実務的な知識のある法律家がサポートすることが望ましいです。私の友人も、希望によってはそういうポストを用意できる可能性があることを話してくれましたが、土地の法的な区画整理だけでなく、今後の防災対策の強化を含めた条例の見直しなど都市計画全般に精通した法律家のリーガルチェックが必要となるからです。
  若い頃から企業法務に携わる機会が多かった私としては、紛争が起こってからの対応もさることながら、紛争を未然に防ぐ予防法務の重要性を痛感しながら弁護士の仕事をしてきました。したがって、以前から私は、これまで培った知識や経験を元に、近い将来、究極の予防法務とも言える立法的な仕事に関わりたいと思っていました。と言っても、政治家ではなく、立法の整備が不十分な発展途上国での仕事などをイメージしていたのですが、今回の経験を通して、第二の故郷と思っている東北地方のために、私も何か力になれないものか、今できること、できないこと、もう少し将来ならできること、できないことを考えてみたいと思っています。