弁護士の木下です。
先週、東京地裁において、準強姦の罪に問われていた柔道のオリンピック金メダリストの内柴正人被告人に対する判決が下されました。懲役5年の実刑でした。
強姦罪が暴行や脅迫によって、抵抗できない状態にして女性を姦淫する罪であるのに対して(刑法第177条)、準強姦罪は女性が抵抗できない状態にあることを利用して姦淫する罪です(刑法第178条)。今回のように完全に酩酊して抵抗できない女性を強姦することが典型例です。準強姦という名称だけを見ると、強姦に準ずる犯罪ということで、強姦よりも軽い罪のように誤解される方も多いのですが、処罰される可能性がある量刑としては、2年以上の有期懲役ということで、強姦罪と準強姦罪の間に、犯罪としての軽重はありません。
さて、この東京地裁の判決を重いと考えるのか、軽いと考えるかは、性別や各自の価値観などでも異なるかもしれませんが、内柴被告人は、複数の女性を姦淫した連続強姦犯ではなく、前科のない初犯としては、いきなり実刑の懲役5年というのは、意外に重く感じた人も少なくないと思います。
私は、以前にかなり訳ありの殺人事件の被告人の刑事弁護をしたことがありますが、このときの判決が懲役9年でしたから、犯罪として決して強姦を軽視するわけではないですが、このような殺人と比べたこともあって、懲役5年の実刑は最初は重く感じました。しかし、よくよくこの事件の経緯を確認すると、やはり意外でもなく、有罪の認定をするのであれば、しかるべき結論だったように思いました。その理由としては、泥酔して抵抗できない女性、しかも指導者と教え子という支配従属関係を利用した犯行態様など情状の悪質さが上げられると思いますが、最大の理由は、単純に犯行を否認したという事実にあります。
実は否認して有罪になれば、それは犯罪を反省していない証拠と判断されますから、刑罰が重くなる傾向は他の犯罪も同じなのですが、特に性犯罪で否認をして有罪になれば、その刑罰の割増は格段に大きく、刑期が何割増しにもなる可能性があります。それは、否認事件となると、真偽を確認するために、性犯罪の被害者に法廷で直接証言をしてもらわなくてはならなくなるところ、他の犯罪以上に被害者にとって、その負担が相当に大きいからです。これが自白事件だと、供述調書というペーパーの提出で代替できるのですが、そこを否認するのであれば、公開の法廷で被害者に強姦されたときの様子の一部始終を語らせることを強いる結果となります。このこと自体は裁判の構造上やむを得ないことですが、これが被害者本人にとってどれほど辛く、二次被害的な苦痛を強いることになるかは、一般の方の想像以上だと思います。したがって、性犯罪の被害者に対して、謝罪するどころか、そのような二次被害を与えたことを斟酌した判決になるため、性犯罪の否認事件における被告人が有罪になると、より重い刑罰が加えられるわけです。
この点、私が司法修習生のときの指導検察官をして下さった検事さんは、とても熱く情熱的な方で、私は大好きでしたが、ある懇親会の席で、この検事さんと性犯罪の否認事件の話になったときに、眉間にシワを寄せて、いかつい顔をされながら、「そんなもん、強姦して、人間としての尊厳を踏みにじった上に、被害者の女の子が法廷でぼろぼろ泣きながら、犯行状況を証言しないといけない屈辱を再び与えとるわけやぞっ!そんな奴を通常の相場的な量刑なんかで許したら、絶対にあかんやろうがっ!!」と怒って怒鳴っておられたことを、今でも鮮明に覚えています。私は、その検事さんの心意気に、正に「被害者とともに泣く検察」を実感しました。
ただ、そもそもこのロジックには一つの大きな矛盾があって、裁判官が神であり、絶対的に正しい判断をしてくれるという前提がなくては成り立たないという恐ろしさがあります。性犯罪の否認をする被告人に対して、もし裁判官が判断を誤って冤罪が生じたら、その被告人は真実は無実であるのに、真実に従って否認して争った結果、通常よりかなり重い刑罰を受けることになるという致命的な制度的矛盾を抱えているからです。
詳しい証拠を見ることができない私には、内柴被告人を有罪とした判決の正否を述べることはできません。卑劣な虚偽の否認を見破った正しい名判決だったのか、実は無実の人間に対して、通常よりも更に重い刑罰を加えた、とんでもない間違った冤罪の判決だったのか、どちらかなわけですが、どちらにしても、現在の裁判においても、無実の人が無罪を主張したところ、裁判官が判断を間違えたら、無罪どころか割増しの重い有罪になるという、恐るべきリスクを冒すことになる構造は生きているわけです。裁判制度の限界と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、ハイリスク・ハイリターンの賭けに臨むことになる被告人は大変な決断を迫られます(しかも、本当に無実であれば、無罪の判決は当たり前のことで、「ハイリターン」ですらないかもしれません)。その萎縮効果で、無実の人間が自白してしまうことがあるのは、痴漢事件などと同じ構造です。そして、そのようなリスクを冒しても否認する被告人の無実の叫びは、やはり本当のことを話しているのではないかと思えて、
また悩ましくなるという裁判官のお話をお聞きしたことがあります。この辺りの悩ましさは、映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)によく描かれています。私は、この映画の公開時に1時間くらいラジオで解説をさせていただいたことがあるので、また機会があれば、このお話をしてみたいと思っています。
結局、内柴被告人は予想どおり即日控訴しましたが、このハイリスク・ハイリターンの戦略について、今度は東京高裁がどのような判断を下すのかが大いに注目されます。