先日、Jリーグ20周年アニバーサリーマッチとして、浦和レッズ対鹿島アントラーズの試合がありました。終盤まで白熱したハイレベルな好ゲームでしたが、皮肉にも20周年のJリーグ史に残るような大誤審で試合は壊れてしまいました。
試合は3対1でレッズが勝ちましたが、問題の大誤審はレッズの2点目に、審判以外の選手や観客ほぼ全員が認識できたようなあからさまなオフサイドを見逃す形で起こりました。その後、レッズは決定的な3点目を取りますが、サッカーの試合は算数ではなく、この大誤審の失点がなければ、アントラーズがバランスを崩して攻撃に出て、レッズのカウンターを浴びる可能性も限定的でしたから、結果は分からず、これまでに観た試合の中でも1、2を争う後味の悪い試合となりました。
もちろん人間にミスはつきものですが、一言でミスと言っても様々です。どんな仕事でもそうですが、ミスには許容できる範囲のミスと、許容できる範囲を大きく超えていて、残念ながら取り返しがつかない致命的なミスというものがあります。
今回のミスは、試合の注目度、緊迫した終盤の時間帯、そのミスの程度など、全てにおいて致命的で取り返しがつかない大きなものでしたから、一般紙にまで取り上げられました。
さて、フォローのしようもないこの大誤審について、私が気になるのは、このようなときに、必ず「“微妙な”判定」とか「オフサイド“気味”」とか、オブラードに包んだ曖昧な伝え方しかしないメディアや解説者がいることです。日本人は、直接的な言い回しを避けた表現を好む民族で、“微妙な”、“~気味”、“~的”という類いのぼかした表現が好まれる傾向があります。和を尊ぶ日本文化は素晴らしく、これらの婉曲的な言い回しとも関係があると思いますが、全く微妙でも何でもない明確なものを、あえて“微妙な”と表現する習性が良いものか、さすがに時と場合によると思うときがあります。指摘する側にも責任がかかるため負担を避けたいでしょうが、常に逃げ道を残した曖昧な言い回しをするのではなく、はっきり明確な言い回しで伝えなくてはならない場面というものは必ずあると思います。
このことは、最近、弁護士業務をしていても、気になる機会があります。
私が気になるのは、弁護士の中において、断定的な言い回しを必ず避けて、常に婉曲的な言い回ししかしないことが癖になっている人が増えているように感じることです。経験が不足していて自信がなかったり、断定することの怖さもあるでしょうし、反対に分からないことについて、適当に断定することは更に良くないことですが、だからと言って、常に婉曲に婉曲を重ねる言い回ししかしないことも考えものです。
法的見解を問われているのに、「その請求は認められる可能性があるかもしれないし、ちょっと難しいかもしれないかな…と思います」みたいな言い回しになるのが典型例です。「可能性」とか、「ちょっと」とか、「…かな」という曖昧な用語の連発が目安ですが、弁護士のリーガルオピニオンというよりは、一般人の感想みたいに聞こえます。可能性だけの話なら、わざわざ弁護士に尋ねなくても、あるかもしれないし、ないかもしれないことくらい、みんな分かっています。お金をいただく法律相談たるためには、断定は難しいときでも、可能性の確度とか、それぞれの結論に至る条件など、もう少し相談者の判断の指針になり得る有益な情報を提供する必要がありますし、仮に相談者の希望が法的に難しいものなら、言いにくくても、そのときははっきりと、残念だが、その請求は認められないと、伝えなくてはならないのだと思います。
もとより、曖昧にしか伝えられない相談はありますし、衝突を避ける柔らかい表現が必要な機会はありますから、要するに場面ごとの適切な使い分けがポイントになるとは思います。
しかし、間違っているものは間違っている、現在の大河ドラマ「八重の桜」ではないですが、ならぬものはならぬと、責任をもってはっきり指摘するからこそ、解決していくこともあるでしょうから、私としては、硬軟のメリハリをつけた言い回しを大事にすることは、今後も心掛けていきたいと考えています。