アクティブイノベーションウエスト代表弁護士の木下です。
実は最近私は、ある殺人事件の裁判員裁判に被害者参加していたのですが、先週その判決が言い渡されました。少年による少年のショッキングな殺人事件でしたし、異性との関係が問題となったこともあって、富田林少年殺人として、関西ではかなり大きく報道されましたから、ご存知の方もいらっしゃると思います。
プライバシーの問題や守秘義務がありますから、ここで事件の内容について詳細な記述をすることは控えさせていただきますが、約15年間弁護士をしてきた私にとっても、この事件は特に重大で一生忘れられない悲しい経験になりましたし、本当にいろいろと考えさせられることがありました。
そこで、今日から三回に分けて、いくつかの角度から、この裁判を通じて感じたことをお話します。 第一回の今日は、まず被害者参加制度についてお話します。
一昨年から裁判員裁判制度が導入されましたが、これまでにいくつかの裁判が大きく報道されたので、裁判員裁判については、かなり認知されるようになりました。
しかし、被害者参加制度についてご存知の方は、まだ少ないように思います。
被害者参加は、裁判員裁判と並んで、最近の司法改革で新しく導入された制度です。
文字通り、重大な刑事事件の被害者が、裁判に参加して、直接被告人に質問したり、意見を述べたりすることができる画期的な制度です。 刑事裁判の伝統的な趣旨は、あくまで国家による秩序維持であって、報復的な刑罰を加えることが目的ではありませんでした。ですから、従来の刑事裁判では、被害者は傍聴席から黙って裁判の成り行きを見守るしかありませんでした。
被害者による報復のために刑事裁判を開いているわけではないのですから、処罰は全面的に国家機関に委ねるしかない、という建前です。
しかし、刑事裁判の基本構造は大きく変わりつつあります。単に秩序維持のために、国家機関に処罰を委ねるのではなく、被害者が当事者の一人として刑事裁判に参加して、判決に直接影響を及ぼすことができるようになったわけです。
これは、近年余りにも理不尽な重大事件や凶悪事件が続いたため、これまで長年蔑ろにされてきた被害者の意見も反映しなくては、裁判が非常にバランスの悪いものになってきたことが主な理由です。
私が代理人を務めた殺人事件の被害者であるご遺族の方も、被害者参加をして、刑事裁判の中で直接被告人に質問したり、意見を述べたりされました。
私は、この新しい被害者参加が最近の社会情勢に見合った素晴らしい制度だと思う反面、現実に代理人をしてみて、運用面でのかなりの難しさも痛感しました。
最大の悩みは、例えば、(動機の酌量や過剰防衛などの言い分があるケースがあるとしても)殺人事件などの重大『犯罪』という究極の「無法」を犯した被告人に対して、遺族などの被害者側は『裁判』という、ある意味究極の「合法」的制度のルールの中でしか、対抗できない矛盾にあります。
法治国家において、応報的にやられたらやり返すという考えは通りませんから、もちろん制度の限界として、これは了解しなければやむを得ないことは当然です。しかしながら、刑事事件の被害者が、筆舌に尽くし難いその悲しみや無念をぶつけるために、満を持して被害者参加の裁判に臨んでも、裁判ではそんな質問はしてはいけないとか、裁判ではそんな表現で意見を述べてはいけないなどの制約ばかりに直面すると、やり場のない悲しみや怒りで一杯になり、どうしようもない喪失感に心が折れそうになるときがあります。
最も恐いのは、刑事事件の被害者が、被害者参加によって二次被害を受けることです。被害者の気持ちを反映して適切な刑罰を求めるための制度なのに、被害者参加した被害者の方が、いつの間にか重ねて傷つけられることになるのは最悪のケースです。
地方裁判所の刑事裁判の話ではないのですが、今回の事件でも、その前の家庭裁判所の少年審判に被害者参加したときに、いくつかの大きな違和感が残りました。
被害者参加人には専用の控え室が用意されたものの、金属探知機による所持品検査や身体検査を受け、荷物の置き場所は指定され、トイレに行くにも職員が同行し、法廷内でも、被害者参加人は、被告人を含む全当事者が既に入廷して着席した後、最後に入廷させられ、部屋の隅に座席を指定されました。しかも、壁際の奥から父親、母親、代理人弁護士である私と席順まで指定されて、我々が着席後、職員に囲まれるようにして審判を傍聴しました。
そのような制約を乗り越えて参加した割には、被害者側からは被告人の後ろ姿しか見ることができず、被告人の表情も分からず、審判終了後は被害者参加人が真っ先に退廷するように促され、被告人との何の接触もありませんでした。
勿論、裁判という場において、被害者側の報復があってはならず、これを絶対に予防しなくてはいけないわけですから、裁判所がその対策にナーバスになることは十分に理解できます。
被害者参加自体が裁判所も運用を試行錯誤中の新しい制度ですし、重大犯罪の加害者側と被害者側の接触という極めて難しい局面を管理するわけですから、裁判所のご苦労もよく分かります。
ただそれでも、その対応が余りに露骨でデリカシーを欠くものだと、被害者参加制度の利用がまるで悪いことのようにすら感じられて、被害者は何のために裁判に参加しているのかも分からなくなり、次第に大きく傷ついていくことも事実です。
今回の被害者参加を通じて、私は、この制度には、もはや取り返しがつかない心の傷や回復不能な壊滅的ダメージを被った被害者が、苦しみに苦しみながらも必死で無念の気持ちを晴らし、将来に向けて生きる気力をもう一度振り絞れるきっかけとなる可能性があるように感じました。
だからこそ、制度の本質的な限界や矛盾がある中でも、被害者参加の真の趣旨を可能な限り発揮させるためにはどうしたらよいのか、法曹関係者は今後この課題を考えて、たとえ少しずつでも改善していくべきだと思います。