アクティブイノベーションウエスト代表弁護士の木下です。
先日、京都コンサートホールで、佐渡裕さん率いるイギリスのBBCフィルハーモニックと辻井伸行さんのオーケストラコンサートを聴いてきました。3月4日の広島を皮切りに、全国を回っている日本ツアーで、夢のコラボレーションだったため、超プラチナチケットだったのですが、なんとか京都のチケットを手に入れることができました。京都ではチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番やドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」などが演奏されました。
ご存知の方も多いでしょうが、辻井伸行さんは生まれつき全盲のハンディキャップがあったにも関わらず、2009年6月に米国で行われた第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人として初の優勝を飾り、一躍時の人になりました。現在、国際的に活躍している、弱冠22歳の天才ピアニストです。
また佐渡裕さんは、1989年に新進指揮者の登竜門として権威のあるブザンソン指揮者コンクールで優勝され、国際的な注目を集めて以降、ヨーロッパを拠点にして、一流オーケストラへの客演を毎年多数重ねておられます。その指揮はとてもパワフルで、全身全霊をかけたような渾身の迫力でした。実は、私は上野樹里さん主演の「のだめカンタービレ」というドラマが好きで、その中で石井正則さん演じる指揮者片平元がジャンプを繰り返しながら指揮するシーンを見ました。これは随分大袈裟に脚色してるのだろうと思っていたのですが、佐渡さんも所々力が入る場面でジャンプしながら指揮されていたので、本当にやるもんなんだなぁとびっくりしました。
このオーケストラで辻井さんの演奏を聴いた私の感想は、「物凄いものを聴いてしまった!」の一言に尽きます。
辻井さんが奏でるピアノの音色は、時にはとても力強く、時にはとても柔らかく優しく、時には荒々しくてスピーディーに、時にはゆったりと耳元で囁くように静かに静かに、まるで何十種類もの多彩な音を生み出している生き物のようでした。その音色は何色もの彩りをまとって、会場内を自由自在に遊離しながら心地好く漂っているようで、やがて新たな音色と絡み合って消えて行くのが目に見えるような不思議な感覚を覚えました。こんな漫画みたいな感覚って本当にあるんだな、と酔いしれていました。後で、佐渡さんが辻井さんに対して、音楽家というものは、じゃーんと頭の中で鳴っている理想の音をそのまま生み出すことに意識が集中するものだが、鳴った音は瞬間的に死んでいく…特にピアノの場合、音は必ず減衰していく…だから、その消えていく音にまで意識を集中しないといけないと、厳しく指導されたと聞いて、あのときに私が感じた感覚の謎が解けた気がしました。
これ程の多種多様な音色を出せるだけでも、十分に匠による感嘆の技だと思うのですが、辻井さんの場合、それが全盲の方による演奏だと分かっているだけに、どうしても更に圧倒されてしまいます。辻井さんが天才という言葉だけで済まされない努力の人だという話も聞きましたが、やはりその存在そのものが奇跡のように思えて、「人間って、本当に物凄いことができるんだな!」と心の底から感動しました。
このコンサートで、辻井さんの演奏が終わったときの拍手の嵐は凄まじいものでした。最初、私は、何とか彼にこの光景を見せてあげたいなぁと思って必死に拍手をしていたのですが、観客に挨拶をする辻井さんに対して、鳴り止むどころか更に熱狂的な拍手のボルテージが上がり、辻井さんが嬉しそうにはにかんでいる表情を見て、「あぁ、この人にはちゃんとこの光景が見えているんだなぁ。きっと、心の目でしっかりと見えているんだ」と思って、そこでまた胸が熱くなるのを覚え、うまく説明できない感情なのですが、とても嬉しくなり、しばらく泣きながら笑って拍手をしていました。
ちなみに私は、学生の頃から音楽の成績が悪くて、音符も全く読めないど素人なのですが、オーケストラはとても好きです。
食べ物でいうと幕ノ内弁当みたいで、いろんな楽器がお互いの良いところを出しながら、一つにしっかりとまとまっているところがたまらなく魅力的です。別の表現をするなら、お気に入りのおもちゃを集めたおもちゃ箱をひっくり返して童心に帰って遊んでいるようなワクワク感があるのが魅力的です。
ちょうど同じ日の夜に、同志社交響楽団のフェアウェルコンサートがあり、私の事務所のスタッフも出演していたものですから、この日はコンサートのはしごになったのですが、学生のオーケストラでも、いろいろな楽器を使って、みんなで一つの音楽を作り上げていく素晴らしさは、プロと何ら変わらないと思いました。たしかに、音の洗練さや音量などはプロのようにはいかないでしょうし、その完成度には違いがあるわけですが、みんなで同じ曲をより良く表現しようと真剣に向き合うひたむきさは、プロにもひけをとるものではなく、その真摯な演奏に心を打たれました。
ところで、我々の事務所では交通事故や工事現場からの転落事故など、多くの事故を扱っており、その中には後遺症という形でハンディキャップが残ってしまい、その補償が必要な方がいらっしゃいます。辻井さんのような全盲の方も、後遺症の典型例の一つなのですが、これらの方の補償はどうなるか、ご存知でしょうか?
この場合、治療費などの実費を請求できるのは当然として、後遺症は最も大きな損害費目になります。後遺症とは、それ以上治療しても治らない障害のことで、その程度に応じて一番重度の1級から一番軽度の14級までに分類されています。先程も述べたとおり、全盲は勿論後遺症に該当する障害で、その等級は一番重い1級になります。
そして、後遺症に関連する主な損害として、さらに後遺障害逸失利益と後遺障害慰謝料に分類されます。一般の方には、慰謝料のことは分かっても、逸失利益が何か分かりにくいかもしれません。後遺障害逸失利益とは、後遺症が残ることによって、健常者に比べて労働能力の全部又は一部が失われることに対して、将来に渡ってその喪失分を補償する金銭のことです。具体的には「①基礎収入×②労働能力喪失率×③喪失期間」で算出します。このうち、②は後遺症の程度によりますが、1級だと喪失率100%、すなわち全く働けなくなると見做されるのです。
ただ、この損害賠償の請求については、実務上一つの大きな制約があります。いわゆる差額説という考え方で、いくら後遺症があろうとも、収入減がない場合には逸失利益は発生しないという考え方です。後遺症が残れば、通常労働条件が変更されたりして減収になることが多いわけですが、もし現実に収入が減っていないのであれば、損害がないのだからさすがに逸失利益の補償も要らないだろうという理屈です。軽度の後遺症には、時々認められる例外ですが(例えば、事務職の女性が脚に軽度の障害が残ったが、仕事には支障がなかったので減収はなかったなど)、全盲の方のような重度の後遺症にはほぼ認められる余地のない例外です。
ところが、仮に辻井さんが何らかの事故で全盲になられたのだとしても、現在の圧巻のパフォーマンスを拝見する限り、差額説によると逸失利益は発生しないことになりそうです。全盲1級という最重度の後遺症からすれば、これは極めて例外中の例外になります。通常であれば、全盲の方は100%働けないとして、逸失利益として、手厚い補償が得られるはずですから。
したがって、このように法律的な観点から見ても、辻井さんの超人ぶりは明らかです。佐渡さんは、辻井さんをして、「音楽の神様に選ばれたピアニスト」だと評しておられますが、音楽家から見ても「奇跡の人」は、法律家から見ても「奇跡の人」だったというわけですね。
今でも、あのときの辻井さんの演奏が頭の中に流れるときがあり、自然に元気になれます。今後ますます海外での活躍が増え、辻井さんの生の演奏を聴く機会は限られてくるでしょうから、私にとって一生に一度の経験だったと思っていますし、大切な宝物になりました。
辻井さんの特別な演奏を聴く機会とは異なりますが、特に個人の依頼者にとって、我々弁護士の事務所を訪問したり裁判に臨む機会というものは、やはり一生に一度あるかないかの特別のことが多いです。だから、私達も我々弁護士にできる方法で不安を取り除いてあげて、あんなふうに人を元気にしてあげられたらいいなと思っています。