先週、周南市集落連続殺人事件の被疑者が逮捕されました。
この事件には「平成の八つ墓村」という見出しがつきましたが、たしかに横溝正史さんの八つ墓村のモデルとなり、日本犯罪史上最多の殺人事件として語り継がれる津山事件を彷彿させる凄惨なものがありました。
さて、のどかな田舎で何故このような悲惨な事件が…と思うのですが、人間関係が濃厚な農村だからこそ、一度関係がこじれて煮詰まってしまうと恨みが深まり、逆にこのような陰惨な犯罪が起こり得るのだと、犯罪心理学者が分析されていました。
その理屈は一応理解できるのですが、それでもやはり、被疑者が村内で孤立していたという動機だけでは、どうにも釈然としないものがあります。どうして、それが5人もの人を殺害するだけの動機になるのか…もはや人間は、そういう理由だけで、たくさんの人を殺せてしまうような生き物なのか…ということです。
最近も携帯電話のラインに書かれた悪口が原因で、呉市の山中で未成年の女子が殺害されて遺棄された広島ライン殺人事件や、死者こそ出なかったものの宝塚市役所放火事件がありましたが、これまでの常識からは合点がいかない薄弱な動機による凶悪事件が続いています。今更ながら、現代の規範意識の弱さは危機的状況に来ていると思います。
この規範意識という概念は、刑法において、法定刑を定める上で、非常に重要な役割を果たします。
例えば皆さんは、殺人罪と過失致死罪の法定刑の違いをご存知でしょうか。前者が死刑又は無期若しくは5年以上の懲役という重罪であるのに対して(刑法第199条)、後者は50万円以下の罰金と極端に軽くなっています(刑法第210条)。どちらも人を亡くならせた犯罪という結果は同じはずなのに、これほどまでに法定刑に違いがあるのは、故意犯である殺人は、過失犯とは異なり、「人を殺めてはいけない」という規範に直面していながら、あえてこれを無視して犯罪を犯すという、犯人の規範意識の崩壊が認められるからです。うっかりの事故的な過失犯とは違って、故意犯は、規範という重大な社会のルール(人を殺めてはいけない。もし人を殺めれば大変な罪になるというルール)と己れの欲望(〇〇さんのことが許せない。どうしても殺したい)との間で葛藤し、あえてこのルールを破って、それを実行することを本質とするため、社会的な非難の度合いが飛躍的に高くなるわけです。
したがって、このように深刻な故意犯…その中でも特に重罪の殺人罪などにおいては、何故に重大な規範を無視したのか…そのような重大な規範に直面しながらも、これを振り切って犯行に駆り立てた動機というものは何なのか…これを丹念に検証する必要があるし、逆に言えば、このような重罪において、規範を無視させるに至った強い動機が認定できないことは考えられないとされて来ました。それが、殺人罪が重罪とされている立法理由であり、結果だけ見たら同じような過失致死罪との法定刑を分ける分水嶺とされているのですから、当然と言えば当然です。そのため、私が司法研修所で研修を受けていた頃は、動機なき殺人というものは考えにくくて、犯人か否かを争っている否認事件で動機がはっきりしないなら、その人の犯人性は疑わしいと考えるべきだという教育をされました。人間は強い明確な理由もなしに、やたら人を殺めることはない生き物である…人を殺めるにはそれなりの理由があるはずである…だから、人を殺める明確な動機が見当たらないなら、その人が犯人かどうかは慎重に疑ってかかりなさい…という前提があったわけですね。
ところが、時代は変わりました。今や、今回の周南市集落連続殺人事件や広島ライン殺人事件のように、動機が薄弱でも規範を無視して、簡単に人を殺めてしまう時代で、むしろ「むしゃくしゃしたから」とか、「誰でも良かった」というように、薄弱な動機すら見当たらない…動機らしい動機が見当たらない殺人も珍しくなくなりました。
そうなると、裁判所としても、従来の司法研修の教育を見直して、動機が認定できなくても、殺人罪の犯人と認めざるを得ないようなケースが増えてきます。私が記憶する限りでは、このターニングポイントになった殺人事件は和歌山毒入りカレー事件で、ここで裁判所は初めて、林真寿美被告人が何故にカレー鍋に毒を入れたのか、詳しい動機は分からないが、状況証拠からして、彼女が犯人に間違いないという判断を下しました。動機はよく分からないが、人間は明確な動機がなくても、人を殺めることがあるので、彼女が犯人に間違いないという、画期的な判断を示したわけです。ここに至り、「人は理由もなく人を殺めたりはしないのだから、殺人罪の犯人と認定する以上は、明確な動機を認定しなさい。逆に言えば、明確な動機のない人を殺人犯と認定してはいけません」という従来の法曹実務教育は、完全に放棄されたのです。現実に動機なき殺人が頻発しているのですから、状況証拠の認定方法も変更せざるを得ませんが、もはや規範など大したブレーキにならない人間がたくさんいる、恐ろしい時代になってしまったことを国も認めるに至ったということです。
ただ、そうだからと言って、動機の解明は軽んじられるべきものではありません。本当に薄弱な動機しかないのか、それなら、その根っこはどこにあるのか、周南市集落連続殺人や広島ライン殺人の動機も少しでも解明されて、類似の犯罪の防止に役立てられて欲しいと思います。