事実と異なる食品表示をしていた不祥事で、阪急阪神ホテルズの社長が引責辞任をしました。関西屈指のブランドを誇るホテルグループの不祥事だけに、消費者のショックは大きく、信頼回復には時間がかかりそうです。

 さて、阪急阪神ホテルズ側は、今回の不祥事はあくまでも誤表示であって、偽装ではない、として両者の違いに固執しています。
 偽装は、故意に人を欺くものであるところ、阪急阪神ホテルズには消費者を欺いて、不当な利益を得ようとする考えはなかったから偽装ではなく、あくまでも今回は誤表示であると…すなわち、悪質な故意はなく、単なるミスである、ということを強調したいようです。
 ただ、それでも消費者側から見ると、偽装と受け取られても仕方がなく、ブランド失墜の責任は重いから、引責辞任するのだ、というのが社長の記者会見の要旨でした。
 本当に偽装でないなら、社長の辞任まではしなくてもよさそうなところで、偽装と受け取られかねないから責任を取る、というロジックは、何かもやもやした分かりにくさと往生際の悪さを感じるものでしたが、本来偽装と誤表示は、どのように区別するべきなのでしょうか?

 実は、このような内心の意思の有無の評価は、偽装か誤表示かに限らず、法的紛争の中では頻繁に登場する論点で、それほど珍しい争いではありません。
 マスコミなどに報道される機会があって、著名な争点としては、殺人事件の殺意の有無があると思います。例えば、口論になった相手の剣幕がすごいので、傷つける程度に威嚇してやろうとナイフを振り回したら、刺さりどころが悪くて相手が亡くなってしまった。しかし、決して殺すつもりはなかったので、殺人罪ではなく、より軽い傷害致死罪で裁かれれべきだ、という弁解が認められるか、ということです。
 このような殺意の有無は、偽装の故意の有無と同じで、人間の内心の判断ですから、色、形、数量などで客観的に確認することができません。しかし、だからと言って、本人が~~~するつもりはなかったと弁解さえすれば、それが全て認められるはずはなく、司法手続きにおいては、間接事実と呼ばれる状況証拠などを積み重ねて、この内心の意思の有無について、断定的な判断を下すことになります。この刺殺の意思の場合、内心の殺意は客観的に確認できなくても、刺し傷の数(刺した回数)、刺した部位、刺し傷の深さなどは、解剖を通じて客観的に特定できます。そうすると、いかに殺意はなかったと弁解していても、心臓の周辺など素人的にも致命傷になると思われるような重要な部位に、執拗な刺し傷が何個もあって、それらが臓器に達するほどの深度でかなり力強く差し込まれた事実があれば、強固な殺意があったと断定されてしまうわけです。このような終局的な判断が下されると、遺族側から見れば、殺意があったと受け取られても仕方がない、という弁解にはもはや何の説得力もないものになり、単に殺意は存在したという事実だけを前提にして、そして下手をすると、それなのに妙な弁解をして遺族を更に傷つけたという落ち度を加味されて、責任が問われることになります。

 今回の阪急阪神ホテルズの不祥事に置き換えると、まず虚偽表示された料理が47品目と多すぎますね。また、虚偽表示されていた期間が7年半とかなり長い上に、虚偽表示の内容も産地を偽るなど、余りに基本的な誤記が多すぎると思います。「若鶏の照り焼き~九条ねぎのロティと共に~」というメニューが九条ねぎから白ネギに変更されたとして、添え野菜の変更は表示の必要がないと、うっかり判断するスタッフなど本当にいるのでしょうか?「若鶏の照り焼き」だけのメニュー表示ならまだ理解できますが、わざわざ~九条ねぎのロティと共に~と、誘引のための料理解説を加えているのに…。したがって、これが本格的に偽装か誤表示かで争われることになれば、これらの間接事実の積み上げから、ほぼ間違いなく偽装の意思があったと認定されるように思います。偽装と受け取られても仕方がないのではなく、そのような弁解も虚しく、断定的な判断による偽装という事実だけが残ることになります。
 もちろん、その判断が必ず正しいかは分からず、冤罪の可能性もあり得るわけですが、クロと判断されれば、クロとみなされた事実しか残らず、それこそが司法手続きというものです。したがって、間接事実の質や量によっては、やはり潔さも必要のように感じた記者会見でした。

 私も阪急阪神グループは好きですし、他にも熱烈なファンは多いですから、曖昧な分かりにくい弁解はしないで、信頼回復のために、是非とも真摯な努力をしていただきたいと思います。