ソチオリンピックが閉会しました。
時差の関係で、リアルタイムで観戦できた深夜の競技はほとんどなかったですが、注目度が高かった女子モーグルと女子フィギィアスケートは、時間調整して観戦し、ともに感動するものがありました。
さて、上村愛子選手と浅田真央選手の挑戦は、ともに記録(メダル)よりも、記憶に残る素晴らしさで、多くの人の心に鮮烈な印象を残しましたが、一方で、採点が絡む競技の難しさを改めて感じた方も多かったと思います。
私には、何故銅メダルを獲得したカーニー選手の滑走が上村愛子選手を上回るのか、さっぱり解せないものでしたし、ソトニコワ選手に勝てなかったキムヨナ選手のジャッジに対して、韓国の人だけでなく、多くの方が疑問に思っているのも分かります。モーグルの細かいターン技術やスケートのエッジの使い方など、プロが見たら分かる要素もあるのでしょうが、それでも大きなミスなく最速で滑走した選手が、素人目で見ても何度か不格好にバランス崩した選手を下回る不可解さは、やりきれないストレスを感じるほどでした。結局、観衆はほとんどが素人なわけですから、そのような観衆に対して、こういうモヤモヤしたストレスを与える競技に未来はあるのか、人気競技だからと観衆を甘く見ていると、例えばカーリングのように、勝敗は別にして、その判定が明快で、結果に対して、競技者も観衆も受け入れやすい競技に、次第に人気を食われていくのではないか、とも感じました。
ところで、上村愛子選手は、自身の悲願のメダルが懸かった最後のカーニー選手の判定が出た瞬間の心境を、「はい、わかりましたという感じ」だったとコメントしています。今回は、この彼女の偉大さについて、私自身の経験を重ねて、私の考えを述べてみたいと思います。
実は、この判定競技というものについては、若き日の私自身にも多少苦い思い出があります。
私が大学生のときに馬術部に所属していたことは、以前もご紹介させていただきましたが(スターホース誕生への期待【日本ダービー】)、そこで私は、北日本学生馬場馬術新人戦に出場させていただいたことがあります。大学1年生のときのことでした。
馬術競技には、多くの方がイメージされる障害飛越以外に、馬場馬術というものがあって、これは長方形に区切られた馬場の中を、予め決められた演技をして、その技術の正確さや動作の美しさを競います。
「乗馬して速足歩行で入場後、審査員に敬礼。演技開始。まず常足(なみあし)でゆっくり外周を歩行。この角まで来たら、一旦馬を停止させて、乗馬したままで3歩後退(余り見る機会はないと思いますが、馬って、バックさせることもできるんです)。すぐに右回りに反転して、ひと呼吸置いてから、対角線に向けて全速の駆け足で発進。そのまま馬場を半周してから常足歩行に移る」…みたいに、基本的な演目の構成が決められていて、審査員のジャッジによって優劣を決めますから、フィギィアスケートのショートプログラムに近いと思います。
そして、この馬場馬術は、①自分の馬の持ち込んで演技するときと、②現地の馬を借りて演技するときがあります。このときの新人戦は我々東北大学が幹事をし、②の方法で開催されましたから、我々は自馬で臨めますが、他の大学の選手は我々の馬を借りるハンディがあります。こうして6頭ほどの馬が出場し、5つの大学から選手が出場すると、30回演技が披露されます。例えばA馬について、我々東北大学の選手が演技をした後に、北海道大学、帯広畜産大学…と、5人の選手が同じA馬の演技をして、次にB馬の5人の演技に移る、という流れです。
全ての演技終了後、全体の中から優勝を決めるのはフィギィアと同じですが、②方式の馬場馬術では、それとは別に各馬賞という表彰があります。文字通り、演技全体とは別に、各馬ごとの演技の中で、一番優秀な演技者を表彰するわけです。馬場馬術に出場する馬は、きちんと調教を受けていますから、どう操作すれば、どういう動きをするかは、予め分かっています。したがって、理論的には、借り物の馬でも他の大学の選手が勝つチャンスは十分にありますが、やはり馬ごとに多少のクセはあるので、自馬の方が有利です。そのため、自馬で出場できる我々にとって、各馬賞の獲得はノルマでした。特に、私達の代は部員もそこそこに多くて、予選のような部内選考を経て、私も他の部員の代表として出場していましたから、各馬賞の獲得は絶対で、できれば優勝を目指したいと思って、私は新人戦に臨みました。
このときの私の騎乗馬は「尾白鷲」。
眼光が鋭く、非常に賢い、この愛馬との練習を重ねて、私には新人戦直前の追い込みで、自分が日に日に上達している手応えがありました。私は尾白鷲と共に秘かに優勝を狙って、新人戦の朝を迎えました。
………【後編】に続く