………【前編】(「はい、わかりました」という境地の凄み:前編)より続き
学生馬術部では、大学名や街の愛称から一字を取って馬名を付けることが多いです。例えば、東京大学は「東」の一字を取って、「東麗(とうれい)」、北海道大学は「北」の一字を取って「北鈴(ほくりん)」という感じで、所属馬に名前を付けます。
我々東北大学のある仙台は、「杜の都」という愛称で親しまれている緑豊かな街でしたから、「杜」の名前を付けることが多く、「杜貴(とき)」とか「杜燕(とえん)」という牡馬や「杜の舞姫(もりのまいひめ)」という牝馬のサラブレッド馬がいました。
そのような多くのサラブレッドが新人戦に出場する中で、私が騎乗した尾白鷲はサラブレッドではなく、中半血という雑種タイプの馬でした。馬力のある農工馬の血が混じっているため、サラブレッドより脚が太く短く、大きな丸顔で、全体的にも丸みがあって愛嬌のある体型をしていました。「杜」の字が入っていないことは、尾白鷲がエースとしての期待を掛けられていないことを伺わせるものでしたが、その能力に疑いの余地はなく、大抵のサラブレッドは明確な指示がないと馬場で立ち往生してしまうのに対して、尾白鷲は演目をほぼ覚えているので、こちらのミスをフォローして勝手に次の演技に移ってくれることがあるほどでした。私は、自分の技術の未熟さをカバーしてくれる尾白鷲の賢さに度々驚かされました。
尾白鷲の活躍もあって、私は、新人戦で会心の演技ができました。その後の他のサラブレッドの演技も見ましたが、尾白鷲と自分の演技が劣るようにはとても思えませんでした。私は、スタイリィシュなボディを持ち合わせていなかったために、有能な練習馬というレッテルを貼られていた尾白鷲が遂に名脇役の汚名を返上するときが来たと思いました。私は優勝を確信して、期待を膨らませて表彰式を迎えました。
出場騎手全員の演技の後、採点結果は一斉に発表されました。
私は、ノルマであった尾白鷲の各馬賞を獲得しましたが、優勝は部内の別のサラブレッドに騎乗した同僚が獲得しました。彼は、私を馬術部に勧誘してくれた親友でしたから、私は祝福しましたが、正直納得はしていませんでした。しかも、詳細な採点結果を知らされて、意外な大差が付いていたことに愕然としたことを覚えています。
その夜は祝勝会で盛り上がりましたが、採点結果に納得していない私は、楽しく飲むことができませんでした。そのような中、尾白鷲の最高管理者である先輩が私を慰労してくれました。新人戦に向けて私に稽古をつけてくれた寡黙な優しい先輩でした。私は、溜まっていた愚痴を先輩にぶつけました。どうしてあの採点結果なのか、先輩は尾白鷲の最高管理者として悔しくないのかと、一気に不満をぶつけました。
無口な先輩は微笑んで、「馬場馬術の採点は主観が入るから納得することが難しいときはあるよ。それでも尾白鷲と君は、今できる最高の演技を見せてくれた。勝ち負けよりも、僕は、そのことが嬉しいし、尾白鷲の最高管理者として、とても満足している」と、静かに話してくれました。
私は、先輩の慰めが嬉しかったですが、それでも全然納得できなかったことを覚えています。もう採点競技は懲り懲りだと、不満を露にした私は、「はい、わかりました」とはとても言える心境ではなかったです。私は、非常に未熟だったと思いますが、努力を重ねて来た人間は、皆わかりやすい結果が欲しいですし、若い私が傷付いたことは無理からぬところがあったとも思っています。
「全ての原因を内なる自身に向けなさい!」という言葉があります。多少表現は違っても、多くの一流アスリートが心に留めている言葉だと思います。
勝敗を分かつときに、演技の順番や天候、そして主観的な採点など不運な要素はたくさんあるだろうが、観衆がこれをあれこれ批評するのはともかく、当事者はそれを置いておいて、結果の全ての原因は、自分自身に問い掛けない限り、それ以上の成長はない、ということだと思います。
「はい、わかりました」とコメントした上村愛子選手の本心がどうだったかは、誰にも分からないです。ひたむきに努力を重ねた5度目のオリンピック、そしておそらく自身最後のオリンピックにして、目前にした悲願のメダル獲得を、最後の最後に、必ずしも納得し難い採点で絶たれた瞬間の心境を想像すると、こちらまで身を切られるような気持ちになります。ただ一つ明確なことは、色々な不満や愚痴が涌き出る気持ちを堪えて、「はい、わかりました」と笑顔で言える彼女は、全ての原因を内なる自身に向けて闘い続けて来たのだろうということです。その清々しい振る舞いには、深く敬服するものがあるとともに、学ぶべきことがありました。これはスポーツだけの世界に通じるものではないと思うからです。
他の同僚社員の出来が悪くて…とか、ライバル社の攻勢が…とか、監督行政の理解が…など、ビジネスの世界でもうまく行かないときは、ありとあらゆることの原因を、他者に求めたくなります。
我々弁護士でも同じです。いかにも不合理に思える判決に遭遇すると、裁判官の能力が…とか、依頼者の証言の仕方が…とか、相手方弁護士の態度が…など、常に原因を他者に求める誘惑に駆られるし、現にここ最近は業界の環境が劇的に悪くなったこともあって、うまく行かない原因を常に他者にしか求めない弁護士も見かけて来ました。
しかし、上村愛子選手の言葉は、それでは自身の成長が何も見込めないことを改めて教えてくれた気がしました。自身がやれることはどこまでやれたのか、自分がやり残したことは本当になかったのか…結局は自分に原因を問い掛けるしかないのだと思います。
25年前の私の各馬賞を誇れる気持ちにさせてくれたソチオリンピックは、私に新たなモチベーションを与えてくれながら、静かに閉会しました。
上村愛子選手の今後の人生のますますの充実を、心からお祈りしています。
