現在、私が毎週録画して観ているテレビ番組が3つあります。大河ドラマ「軍師官兵衛」、アニメ「ワンピース」、そしてもう一つが「らららクラシック」という音楽番組です。
「らららクラシック」では、毎週クラシックの名曲を一つ取り上げ、その時代背景、作曲家の意図や音楽に隠された技術的解説をしてくれます。今年に入ってからは、スメタナの「モルダウ」、ベートーヴェンの「運命」、ドビュッシーの「月の光」などが取り上げられました。
「モルダウ」は、私が中学生のときの合唱コンクールの課題曲で、クラス全員で優勝を目指して、放課後の練習を繰り返した懐かしさがあります。私には思い出の曲ですが、改めて郷愁をそそる良い曲だなと思いました。
「運命」は、昨年「未完成」、「新世界より」と並ぶ三大交響曲として、日本センチュリー交響楽団のオーケストラを鑑賞しました。ベートーヴェンは、最初フルートを混ぜて、「運命」の作曲を進めましたが、途中で違和感を感じてフルートを外したそうです。勿論フルートにはフルートの良さがありますが、番組の実験でフルートを混ぜると、正に運命の扉を開くような「ジャジャジャジャーン」というあの迫力はなくなり、曲の印象が全く変わることが面白かったです。
「月の光」は、私の妻が昨年のピアノの発表会で選んだ演奏曲です。ドビュッシーは、曲の主旋律となる音を最初に明示するという、当時の西洋音楽の規則を無視して、主となる音…この曲だと「レのフラット」…を冒頭から敢えて外して「月の光」を作曲したそうです。その方が幻想的で美しいと感じたからだそうですが、そのため、最初フランスの音楽学校で、ドビュッシーは落第扱いにされたという解説には驚きました。それでも、やはり良いものは良いというか、きちんと時代の方が追い付いて来て評価されたわけです。このような時代背景などを掘り下げて解説してもらってから聴くと、音楽の情景が浮かんで、更にその音楽が好きになれるから不思議です。
余談ですが、私は、妻の「月の光」の演奏が何となくフワフワ漂うような繊細さで、それが良いのか悪いのか、よくわからなかったのですが、あれは曲のイメージをかなりしっかり捉えた演奏だったことがわかりました。妻の演奏の前に、「月の光」の解説を聞いていれば、もう少し正当に感想が述べられたのに…と少し残念に思う一方で、もっと力強い演奏でも良かったのではないか…などと不用意な発言をしなくて良かったと、少し安堵しました。
ところで、「らららクラシック」で取り上げられるように、時代が移ろう中でも変わらない名曲はたくさんありますが、これについては先日、自宅近くで鑑賞させていただいたミニコンサートで、面白いお話がありました。
これは、地元の小さなコミュニティセンターにおいて、ピアノとバイオリンだけの演奏で、「ふるさと」や「荒城の月」などの古典的な名曲を聴くものでしたが、何ともゆったりした時間が流れてノスタルジーに包まれました。
このときピアニストの方からお伺いした話によると、これらの明治の名曲は三拍子のものが多いらしいです。これは、明治維新で新しい時代が切り開かれる際に、この三拍子の中に、『自由』、『規律』、そして『友愛』という、新時代を象徴する3つのメッセージが込められているからだそうです。「流れて行く」と書いて流行と呼ぶわけですが、世の中にはこのような骨太の輪郭がしっかりしていて、いつまでも流れて行かないものもありますよね…というお話を聞いて、「モルダウ」や「月の光」のことを思い出しながら、なるほどと頷いてしまいました。
そして、おそらくこれは音楽の世界だけでなく、我々法曹の世界の仕事にも通じるものなんだろうな、と思います。
時代が変わり、広告解禁、弁護士大増員、裁判員裁判などの司法改革の激動の中で、弁護士の仕事の進め方も大きく変わりました。一番の変化は、広告解禁やの結果、知り合いの紹介なしでも、インターネットやホームページを通じて、相談を受けるようになった弁護士が増えたことです。通信技術の発達のために、以前とは異なり、顔を合わせなくても、メールなどで簡易な相談を希望される依頼者も多くなりました。
ただ、法曹の世界でも、いつまでも流れて行かないものはあるように思います。私はそれを職人としての仕事の仕方だと考えているのですが、大量受注大量生産ができないからこそ、相談者の各々の悩みに丁寧に関わるべきなのでしょう。紹介者のあるなしや、相談方法が面談かメールかなどにかかわらず、そういう弁護士の仕事の本質は、一時的な流行りに左右されないで、今後も大切にしなければならないと思います。
なお、私が最も好きなクラシックは、ドヴォルザークの「新世界より」と、ラヴェルの「ボレロ」です。「らららクラシック」の「ボレロ」の放送は終わりましたが、「新世界より」はこれから放送があるみたいですから、非常に楽しみにしています。