アクティブイノベーションウエスト代表弁護士の木下です。
先日、私が博多に出張したときに、エスカレーターでちょっとした事故になりかけました。以前からエスカレーターでは、急ぐ人のために左右どちらか一方を空けておくことが慣習として定着していますが、考え事をしていた私が一瞬どちらを空けたらいいか迷っていたところ、後から猛烈に駆け上がってきた通行人と衝突して、ステップから足を踏み外し、足を挫いたのです。幸い大きな怪我はありませんでしたが、ちょっと危ないところでした。
実はこのニアミスの原因は、私が考え事をしていたことだけが理由ではありません。現在日本では、エスカレーターの左右どちらを空けるのかについて、全国的な統一性が全くないことはご存知でしょうか。このため、出張する機会が多い私は、博多の慣習がどちらだったか一瞬分からなくなって混乱したわけです。
日常の生活圏から余り遠出されない方は驚かれるかもしれませんが、大阪などの関西圏ではエスカレーターの左側を空けるのに対して、東京などの関東圏を含む東日本ではエスカレーターの右側を空けるのが慣習となっています。この点、例えばお弁当に入れるおにぎりについて、関東では普通の焼きのりを使いますが、関西では味付けのりを巻くことが多いなど、東西ではっきりと区別されている慣習や風習はたくさんありますから、これだけなら分かりやすいのですが、このエスカレーター片側空けの件、実は関西より西の広島や博多などに行っても、東京と同じく右側を空ける慣習なのです。先週出張していた鹿児島でも右側空けでしたから、日本では関西以外のほとんどの地域でエスカレーターの右側を空ける慣習が定着していると考えてよいと思います。
たしかに片側二車線の車両の道路において、追い越し車線は右側です。東京の友人は、「急ぐ人は右側から。車と同じだよ。簡単じゃない。」と、あたかも大阪のルールは偏屈だとばかりに笑います。すると、私の大阪の友人は、大阪には個性があるから…などとムキになって反論しますが、どうもきまりが悪そうだったりします。どうして、大阪などの関西圏だけ異なる慣習になってしまったのでしょうか?
実は、以前ある雑学書でその理由を読んだことがあります。
まず、たしかに車の追い越し車線と同じですから、東京を始めとする「右側空け説」は合理的です。ところが、世界に目を向けると、イギリス、ドイツ、アメリカなど欧米各国において、世界的にはむしろ大阪と同じくエスカレーターでは左側を空ける都市がほとんどらしいのです。国内では少数派の変わり者扱いの大阪の「左側空け説」は、世界的に見ると圧倒的に多数派ということですから何とも面白い話です。
これは、欧米では自動車以前の主たる交通手段であった馬車文化の名残が非常に強く残っているからだそうです。馬車では、追い越しなどの加速をするためには鞭を激しく振るいます。車のようにアクセスを踏み込めば簡単に加速できるわけではないですから、加速する馬車の御者が振るう鞭は勢いよく宙を飛び続けますよね。そして、御者も含めて人間は右利きの人の方が相当に多いですから、追い越し車線を右側にしてしまうと、必然的に反対方向に向かって離合する馬車同士の御者の鞭が絡み合うアクシデントが増えてしまうわけです。このような不都合を防ぐために、馬車の通行に関する追い越し車線は基本的に左側が多く、世界的にエスカレーターの追い越しレーンにもその風習が残ったわけです。そして、エスカレーター普及後の大阪万博博覧会でたくさんの外国人観光客を受け入れた大阪では、いち早くこの「左側空け説」が定着しましたから、大阪のルールは偏屈というより、むしろワールドスタンダードだったわけですね。その後になって、東京にもエスカレーターの片側を空ける文化が広がったのですが、そのまま大阪の「左側空け説」を継承しないで、現代風に車同様「右側空け説」に改良してしまうところが、いかにも洗練された東京らしくて、これまた面白いと思います。
その危険性から一部ではエスカレーターの歩行禁止をアナウンスする地域も現れたと聞きましたが、いずれにしても、エスカレーターを歩いていいのかどうかも含めて、もう少し基準の統一性がないと事故の危険が高くなります。
たしかに民法には慣習法を認める規定がありますから(民法第92条)、これに違反した人が衝突事故を起こしてしまった場合、エスカレーターの片側空けについても、地域ごとの慣習を尊重して過失の有無などが判断されるかもしれません。しかし、エスカレーターは地域の限られた人しか利用しない機械ではなく、むしろ公共性が高いところ、これだけ慣習が全国でバラバラだと、私と同じように日本の中でいろいろな地域を移動することが多いビジネスマンなどにとっては、冒頭の私のニアミスのように、かなり危険なケースが増えてくると思います。この場合、それを慣習に従わなかった利用者が悪いとして、管理者などが簡単に免責されるかどうかは微妙でしょう。国土交通省や各鉄道会社は、自己の責任を免れるためにも、大きな事故が発生する前に明確な基準を設けて、もっと分かりやすいアナウンスを周知徹底させて欲しいと思います。