東京事務所の木下です。

  先日、ロンドンオリンピックのマラソン日本代表が決定しました。蓮見弁護士のブログと被りますが(「世界と戦える選手」とは?)、今日は私なりの視点で、このテーマについてお話したいと思います。
  今回、注目の市民ランナー川内選手は選出されませんでした。女子でも世界選手権5位に入った赤羽選手は選ばれず、男女ともに初代表のフレッシュなメンバーとなったわけですが、オリンピックのマラソン代表の選考がよく揉めることは、「五輪で活躍が期待される競技者」と極めて曖昧な選考基準に原因があることや、そのような基準を適用する以上、選考過程をきちんと説明すべきであることは、蓮見弁護士が指摘しているとおりだと思います。ただ、この点に関する私の見解は、もう少しドラスティックなもので、「専門家がいくら机上の分析を重ねても、五輪で活躍できるかかどうかはやってみないと分からない」という至極当たり前のものです。特にマラソンの場合、競馬と同じでレース展開に左右される部分が大きいですから、事前に分かるわけがないと思っています(スピード自慢の追い込み型の有力馬が、超スローなレース展開のために、余力を残した伏兵の先行馬の逃げ切りを許してしまう波乱がよくあるのと同じです)。そこで、次にいくつかのレース展開を予測して、タイプの違う有力ランナーを並べて、日本として誰かがメダルを取れるように選手を配置する戦略もあり、現在の選考基準はどちらかと言えばそちら寄りの考えだと思うのですが、本当にそれで良いのでしょうか?
  私は、これは結局オリンピックを、①国のためのメダル獲得競争と考えるか、②個人と個人(又はチームとチーム)の力勝負で、彼らが帰属する国ごとのメダル獲得数は、その時々の結果でしかないと考えるかの差ではないかと考えています。そして、蓮見弁護士も触れていたように、以前から選考レースを1つに絞って、一発勝負にしてはどうかという改革案が出ているわけですが、これは後者の考え方をベースにしたものです。気象条件や記録の比較もしなくて良いですから、単純明快で分りやすいですよね。たしかに、一発勝負では本命の有力選手が調整に失敗して選べない可能性がありますし、国としてメダルを取れる確率は下がってしまうのかもしれないです。また、国としての強化費用の絡みもありますから難しいところでしょうが、やはり私は改革案賛成派で、一発勝負でフェアに決めたら良いと思います。オリンピックは、選手も日の丸を背負って戦うことに究極の誇りを感じるでしょうし、応援する我々も日本への帰属意識を強く感じる瞬間ですが、それでも、「お国のために」であれば、個人の努力や権利は蔑ろにされてもよいと考えることには抵抗があります。

  このように私が個人の価値を重んじたルール改正を推すのは、レベルは全く違えど、私も曲がりなりにもフルマラソンのランナーとして、その気持ちがよく分かるからです。
  先週日曜日、第1回京都マラソンが開催されました。東日本大震災から、ちょうど1年後の開催とあって、「京都の活性化」と「復興への願い」の二つのテーマが掲げられ、私も、約1万4000人のランナーと一緒に参加してきました(第1回京都マラソン当選)。35ヶ国から752人の外国人ランナーも加わって、さすがに世界的にも著名な京都でのマラソンだと感じました。出るからには、私もできるだけ準備をして参加するつもりでしたが、結局、年明けから仕事でいろいろあって、一週間前に5キロ走と10キロ走を一回ずつ試走しただけになりました。しかも、急用ができたため、前日まで鹿児島の仕事でしたから、ほぼぶっつけ本番で京都マラソンに臨むことになってしまいました。
  私がこれまでに参加したマラソンには途中の足切り関門はなかったのですが、京都はさすがに観光大都市ですから、制限時間が6時間というだけでなく、第1関門から第8関門までかなり細かく関所が設けられ、それぞれの制限時間までに各関門を通過できなければ、そこで強制終了となります。私は一番タイムが良かったホノルルでも6時間強かかりましたし、マウイは7年前、ホノルルは2年前と歳を重ねて体重も増加しました。加えて京都マラソンのコースはアップダウンの坂道が多いので、完走は99パーセント難しいだろうと覚悟していましたが、応募して落選された方に失礼にならないように、行けるところまでは行こう…できたら第6関門がある約30キロ過ぎの京都コンサートホールは、ほぼ一年前、辻井伸行さんのピアノ演奏を聞いて感動した思い出の場所ですから(全盲の方の逸失利益【BBCフルハーモニック日本ツアー2011】)、ここまでは辿り着きたいと思ってました。

  走り始めて5キロから10キロはかなり気持ちが良かったです。京都在住の事務所のスタッフが休日の早朝からわざわざ応援に来てくれて、本当に嬉しく力になりましたし、この日はお天気も良くて、嵐山の渡月橋がとても綺麗に映えていました。11キロ地点の仁和寺では雄大な門の前で、お坊さん達がずらりと出迎えてくれて、以前見た景色とは違っていて面白かったです。比較的快調でしたが、15キロ過ぎから急に右の膝が痛くなりました。中学生時代に陸上部に所属していた私は、もともと膝に少し古傷があるのですが、ちょっと膝がぐらぐらして安定しない感じになり、これはハーフも難しいかも…と落ち込み始めました。ところが、今回初めて着用したワコールのマラソンウェアが凄くて、膝のサポート効果もあるので、もう一度ウェアの足回りを整えて膝を固定したら、17キロ付近から再び安定して走れるようになりました。高低差75メートルで、京都マラソン最大の難所と呼ばれた22キロ過ぎの狐坂の傾斜を目前にしたときは、「こらぁ、あかん!無理っ!」と心が折れそうになりましたが、歯を食いしばって歩かないように駆け上がり、制限時間の30分前に自分なりの目標に考えていた第6関門の30キロ過ぎ地点を通過できた頃には、これはもしかして完走できるのではないかと考え始めました。さすがに30キロから40キロの間は、身体中のあちこちが悲鳴を上げていて、鴨川沿いの風情を楽しむ余裕はなく、何度も何度もくじけそうになりましたが、沿道の温かいご声援、京都らしい八ツ橋の差し入れや、京都大学などのチアリーダーの華やかなパフォーマンスなどに元気付けられて、必死でもがきながら前進し、遂には制限時間内で完走できてしまいました。ゴール地点の平安神宮の赤い大鳥居の美しさは、一生忘れないと思います。
  今までの中で、一番走行時の年齢が上で、一番練習ができないで、一番厳しいコース設定で、まさか一番良いタイムで完走できるとは全くの想定外でした。

   マラソンから数日後の現在、太股や膝の傷みは取れましたが、足の指はひどいことになっています。特に両足の薬指と小指の損傷がひどくて、何割増しかで腫れ上がっていて、互いの指が食い込んで変形しています。グレープみたいな色の水膨れがいくつかできていて、我ながら気持ち悪いと思ってしまいます。
  それでも、今、私は充実感や達成感に満ちています。私は、7年前に上岡龍太郎さんにお誘いいただいて、初めてマウイマラソンを走りました。今回、初めて自分の意志で力一杯フルマラソンに挑んでみて、以前、上岡さんが「世の中には自分の意志と力だけで成し遂げられるというものは、意外に少ないものですが、マラソンには確実にそれがあります。自分の意志と力でマラソンをやりきれば、何かが変わります」とおっしゃっていた意味が初めて理解できたような気がしました。今回、歳は重ねましたが、以前より、数倍気持ちが強くなった自分に出会えた気がしました。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、どんなに痛くても逃げ出さなかった自分を、今回は誉めてあげたいと思っています。
  私は、あと数年で弁護士として20年になるのですが、その辺りで、できたらこれまで弁護士として培ってきた知識や経験を活かして、弁護士とは異なる別のチャレンジをしてみたいと考えています。おそらく心の強さが必要になるでしょうし、簡単ではないと思いますが、そういう意味では、今回、年令を重ねても、強い気持ちで臨めば困難も乗り越えられる可能性を見つけられたことは、大いに自信になりました。

  オリンピックを狙うアスリートは、私どころの話ではなく、本当に毎日血のにじむような努力をされています。ですから、私は、やはり国のための戦いの以前に、どこまでも競技者個人にとって納得のいく選考をして欲しいと思います。それがレベルやタイムは全く違えど、同じ42.195キロという長旅を共有した一ランナーとしての私の偽らざる気持ちです。
  いずれにしても、ロンドンオリンピックのマラソン代表に選ばれた選手の皆さんには、国としてのプレッシャーを感じ過ぎないで、基本的には自分のために、個人として存分に楽しんで来て欲しいと思います。